ネット上では、よく一つのテーマについて論争が行われています。
最近だとサラリーマンがいいとかダメとか、増税をすべきかどうかとか、きのこvsたけのことか…
お互い知恵を絞って、論理的に相手を説き伏せようとする光景が見られますね(°_°)
しかし、こういう話って大抵平行線のまま終わりますし、お互い自分が正しいと思ったままです。
全然終結しないのですが、その理由はどちらの意見も筋が通っていて、そしてどちらも引かないからでしょう。
喧嘩している同士はそう思わないでしょうが、感情抜きに見ればどちらかの理論が劣っているわけではありませんからね。
ちなみにタイトルは忘れましたが、昔読んだ本の中に「論理的証明はどんなことでも可能」と書いてあって、深く共感したのを覚えています。
(学術的には別ですが、コミュニケーション上では可能という話です)
明らかにおかしい意見でもそれっぽく主張できますし、逆に言えば理屈が通っているからと言って、それが決して正しいわけではないんです。
これは僕自身営業の仕事をしている中で、なんとなく感じていたことでもありました。
今回はその「論理的証明はどんなことでも可能」という話を、記事としてまとめてみたいと思います。
これを知っていれば、悪い人に騙されることもなくなるはずですので、ぜひ覚えておいてください\(^o^)/
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論理的証明はどんなことでも可能
論理的証明がどんなことでも可能というのは、少し想像していただければわかるかもしれません。
例えば何でもいいのですが、相反する2つの意見があったとします。
思い浮かばなければ、きのこvsたけのこで想像してみてください∩(´∀`∩)
こういう相反する意見であっても、同じ人間が双方とも(「きのこがいい理由」と「たけのこがいい理由」を)論理的に説明できてしまいます。
極端にいえば、「トイレを素手で洗った方がいい理由」みたいな話ですら、論理的に説明できてしまうんです。
どんな意見でも、言い方次第で正しいように伝えられる…
このことを知らない人が、騙されたり洗脳されてしまったり、あるいは不毛な言い争いを続けるのだと思います。
「はい論破」は意味を為さない
最近は見なくなりましたが、昔はよく2chのまとめサイトを読んでいましたw
その際、言い争いが生まれると大体「はい論破」という人が現れて、正直見るたび疑問に思っていました。
理屈が通っている=正しい意見ではないし、そもそも相手の反論を聞く前に何故「論破」なのか…
相手が言い返せなくなったのならわかりますが、基本的にネット上の「はい論破」は意味を成していないんですよね(´ ・ω・ `)
後出しじゃんけん可能なネット上で論争を始めても、お互い平行線にしかならないのは目に見えてますし、もはや時間の無駄でしかないと感じます。
知っていれば悪い人に騙されなくなる
どんなことでも筋道通して話せることを知っておけば、間違った意見を鵜呑みにしたり、悪い人に騙される可能性もかなり減ってきます。
「悪い人」の定義は人によって違うでしょうが、自分にとってマイナスになり得る人と考えれば、割と日常的に出会うものです。
それはSNS上の誰かの意見かもしれませんし、押し売りをしてくるセールスマンだったり、あるいはN◯Kの集金係かもしれませんw
意見を聞けば確かに筋道は通っていたりしますが、それを=正しいと結びつけてしまうのか、そうじゃないのかは大きな差です。
ちなみに僕自身、以前社長の思いつきで生まれた粗悪なサービスを売るため、トークスクリプトを作らされたことがありました。
(結局そのサービスは始動しませんでした…w)
そもそも他社サービスの劣化版で、顧客にとって何らメリットのないものでしたが、理屈を捏ねればそれなりに説得力のあるトークはできてしまうものです。
世の中にある粗悪な商品は、大体こんな感じで売られていくんだなぁと、自分ごととして体感しました(°_°)
なので相手の意見を聞くときは、例え理屈が通っていたとしても、それが正しいかは別だと考えた方がいいでしょう。
何度も言いますが、「論理的証明はどんなことでも可能」ですからね(´ ・ω・ `)
それを心に留めておけば、悪い人に騙されなくなるはずです。。。
自分に軸があれば他人に振り回されない
また、騙されるとまではいかなくとも、他人に振り回される結果になることはあります。
例えば僕はこうしてブログを書いていますが、ブログの書き方にも色々な主張があったりします。
トップブロガー同士ですら意見は違いますし、根本の考え方は同じであっても、手法となれば千差万別です。
どの人の意見も筋道は通っているので、中にはあちこち流されていってしまう人もいると感じました。
主体性を持って生きよう
こういうことはブログに限らず、日常のあらゆることに存在しますが、自分の中に軸があれば他人に振り回されることはなくなります。
軸があるという状況は、言わば主体性を持って生きているかどうかです。
(それだけではないですが、こういう人にしか恐らく持ち得ません)
漂うクラゲのごとく、周りに流されながら(合わせながら)生きている人は、やはり周りの意見に振り回されやすいと思います。
逆に周りの意見関係なく、自分の思う通りに生きている人は、他人に振り回されることはなくなるでしょう。
情報を取捨選択した結果、それが間違っていたということはあるかもしれませんが、単純に鵜呑みにすることはなくなるはず。
なので周りに振り回されやすいと感じている人は、主体性を持って生きる方向にシフトしていくことをおすすめします。
理屈が通っている=正しいとは限らない
ということで、今回は論理的証明はどんなことでも可能というお話をさせていただきました∩(´∀`∩)
冒頭にも書きましたが、これは学術的な話ではなく、あくまでコミュニケーションレベルの話です。
ただ、どんなことも論理的に説明できることを知っておくと、今後他人からの悪影響を受けにくくなると思います。
理屈が通っている=正しいとは限らないことを、ぜひ記憶の片隅に留めておいてくださいね\(^o^)/