時々周りやネット上で、盲目的な信者を見かけることがあります。
誰かのことを強く信仰し、その人の言うことなら何でも聞くような…
時代の不安定さもあって、こういう人は案外多いのかもしれません。
ちなみに僕は学生の頃、MLM(ネットワークビジネス)の信者だったり、宗教的なビジネス団体(?)に会う機会が多くありました。
(起業を考えている学生って、いいカモみたいですw)
そして盲目的に何かを信じていると、人生が割と詰みやすいことも、この時の経験を通して感じたんです。
今回は盲目的な信者になると人生詰みやすいという話を書いていきます。
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盲目的な信者は人生積みやすい
盲目的な信者になると人生積む理由は、大きく以下の3つです。
・情報や思考が偏る
・自分で答えを出せなくなる
・騙されていても気づかない
それぞれ簡単に深掘りしていきます。
情報や思考が偏る
誰かを尊敬したり、その人が持っている情報を得るのは、とてもいいことだと思います。
それ自体は否定しないのですが、信仰度があまりにも強くなると、次第に他の情報をシャットアウトしがちです。
「この人の言うことを聞いていれば間違いない」
こういう思考は、確実に情報や思考の偏りを招きます。
一旦こうなってしまうと、自分と異なる考えは受け入れられず、思考もストップしてしまいます。
あくまで個人の経験上ですが、何かの信者になっている人ほど、本で学びを得たり自分で考えたりしていません。
一つの情報源を盲信してしまうため、必然的に視野が狭くなってしまうのです。
自分で答えを出せなくなる
盲目的に何かを信じる人は、自分で答えを出すことはありません。
常に他人が提示してくれる答えを、自分の正解だと捉えるわけです。
しかし、他人が提示した答えをなぞるだけだと、自分で考える習慣がなくなっていきます。
どんなに素晴らしい人でも、100%正しいなんてことはありませんし、少なくとも自分とはどこか合わないはずです。
なので多くの情報を取捨選択したり、自分の頭で考える習慣がなくなると、どんどん自分らしくない他人色に染められていきます。
つまり、あえて悪い言い方をすると、個性のない人間が誕生するのです。
騙されていても気づかない
一番の実害となるのは、やはり騙されていても気づかないことでしょう。
信者を作る目的って、多かれ少なかれ下の人間を盲目にし、お金などの対価を吸い上げることにあります。
普通の心理状態なら疑問を感じるのですが、本人たちはそれでも納得しているのです。
そして騙される期間というのは、大抵の場合数年〜数十年にも及びます。
なので騙されていることに気づかないと、多くの時間とお金を無駄にしてしまいます。
一時的には救われるかもしれませんが、後に待っているのは恐らく後悔だけでしょう。
常に疑問を持つことが大切
誰かを信頼したり、意見を聞き入れることは大切なのですが、同時に疑問を持つことも大切です。
自分より実績がある人の意見は、一度受け入れることも大事ですし、一旦その通り行動した方がいいと思います。
しかし、「本当に正しいのか」「もっといい選択肢があるんじゃないか」という問いは、常に頭の片隅に置いておくべきです。
他人の正解と自分の正解は、間違いなく違います。
他人の正解をなぞっても、途中までは同じでしょうが、それ以降は自分にとっての正解ではないはずです。
ただ、自分で考える習慣が身についてないと、常に他人の虚像を追いかけることになります。
そうならないためには、自分で考える習慣が大切で、言い換えると常に疑問を持つことが必要なんです。
自分自身の信者になってもいけない
もちろん自分が今やっていること、考えていることに関しても、常に疑問を持った方がいいです。
そもそも自分の考えだって、元を辿れば誰かしらの考えだったりします。
(自分の人格すら、親や友達から多大な影響を受けているわけです)
むしろ本質的には、他人を疑うより自分を疑う方が正しいのかもしれません。
他人の意見を咀嚼できる人でも、案外自分の考えや行動は疑わなかったりします。
ただ、自分の答えを見つめ直さないのも、他人を信じるのと同レベルに盲目です。
つまり自分自身の信者になってもいけないわけですね。
自分の中の矛盾と戦おう
なんとなく感じた方もいらっしゃるでしょうが、これをやると「信じる一方で疑う」という、矛盾を抱えた状態になります。
他人の意見も自分の考えも、信じる一方どこか疑い続けるので、中には「どっちなんだ」と感じた方もいるかもしれません。
ただ、自分で考え続けていれば、どこかで必ず矛盾と戦うことになるんですね。
ちなみに中国古典には、「陰陽」という言葉があります。
これはざっくり説明すると、「全ての事象は相反する2つの性質を持ち、その調和で成り立つ」というものです。
(個人的にすごく好きな言葉です)
つまりどんな風に考えても、そこには必ず「陰」と「陽」があって、同時に矛盾が生まれることになります。
盲目的に何かを信じている人は、基本的に「陽」の部分しか見えていないので、良くも悪くも悩みから解放されます。
しかし、物事の「陰」の部分や矛盾点に気づかないと、物事の本質に気づくことは基本的にありません。
自分の中に矛盾がないと感じているのは、普段から盲目的に生きている証拠なんです。
人は常に何かの信者
とはいえ人というのは、常に何かしらの信者であるとも考えています。
その対象は人かもしれませんし、日本という国や勤めている会社かもしれません。
いずれにしても、何かしら信じる対象があるからこそ、人は前に進めるのだと思います。
これは以前だと受け入れられない考えでしたが、それは僕が「自分の信者」だったからです。
自分の信者って、言葉だけだとかっこいいですが、つまりは「自分以外何も信じない」ということでもあります。
以前はこれが正解だと考えていましたが、今では最悪の思考パターンだと思うんです。
誰かの信者になるのは、なんだか悪いことのように感じますが、盲目的でなければ問題ありません。
その際は、いい面も悪い面も、陰陽引っくるめて受け入れるようにしてみてください。
盲目的な信者にはならないこと
ということで、今回は盲目的な信者というテーマで記事を書いてみました。
何かを信じるのはいいことですが、盲目的な信仰に変わった時点で、物事の悪い面が見えなくなってきます。
こうなると人生詰みやすくなるので、何かを盲信することはやめておいた方がいいです。
いい面も悪い面も見て、矛盾を抱えながら走り続ける。
そういう人生が、最も健全なんじゃないかと僕は思っています。